ちょんぼりすた|パチスロ解析

【第1章】パチスロを始めたきっかけは『勝てる』から

これが俺の生き方だ

自分がパチスロを打ち始めたのは確か17歳のまだ高校生の頃。今から約16年も前。そこからこの世界にどっぷり浸かり、「パチンコ屋の店員」「パチプロ」「サクラ」といった様々な経験を経て今に至ります。

パチンコ屋の店員を経て業界について知り、パチプロ時代に勝ち方を確立し、サクラ時代に業界の裏の部分を見てきました。

そこで、当時を振り返りつつ、自分のパチスロ人生について書いてみたいと思います。普通では経験出来ないような事もたくさんありました。

今回はエピローグのようなものですが、若い方には「昔ってそんな状況だったんだ」と知識を深めてもらい、同年代の方には「そんな事もあったね」と懐かしんでもらい、年配の方には「3号機も知らないとかニワカ過ぎw」と罵って貰えればと思います。

【第2章】パチンコ屋の店員となりゴト師の誘いを受ける

パチスロを始めた頃

昔のホール

今から16年ほど前、パチスロが一番盛り上がる少し前の時代。軍艦マーチが流れてジャンジャンバリバリ言っている頃。

きっかけは友人Sの一言でした。

「明日○○っていうホールがアツい」

その頃は、毎週土曜日になると、その友人Sの家10人ほど集まり、徹夜で麻雀に明け暮れていました。この日もいつものように麻雀をしながら出てきた何気ない会話ですが、今思い返すと自分にとっては人生の転機とも言えるほど重要な場面でした(もちろん悪い意味で^^;)

その友人いわく、スロットはリーチ目を覚えたり、出るホールを狙えば簡単にお金を稼げるとの事。

まだ17歳とは言え、他人の上手い話を鵜呑みにするほどピュアでは無く、当然、「そんな上手い話がある訳ない」と半信半疑だったのですが、元々ギャンブル好き。

「そこまで言うのなら、明日そのホールへ行ってみよう」という話に。

朝まで麻雀を楽しんだ後、そのままホールへと並びに行くのですが…。

当時のホールは無法地帯

無法地帯

当時のパチンコ屋は、今では考えられないほどの無法地帯。

どのくらいの無法地帯かって?

高校生が学生服のままスロットを打ち、その横でパンチパーマの店員がタバコを吸いながらカギを振り回して徘徊している。

こんな世紀末な光景が目の繰り広げられるくらいの無法地帯。

始めて訪れたこのホールも、並んでいるのはタバコを咥えたチンピラばかり。

それが開店が近くなると扉の前に集まってきて、満員電車並みの密集度に。

朝の地下鉄の通勤ラッシュを思い浮かべて下さい。駅員が入りきらない客を、扉を締める為に強引に押し込む。それくらいの状況です。

整列や整理券なんてものは無いので、後ろの必死な大人達に押されてもみくちゃにされます。

いざ開店の時間になると、F1の音楽と共に一斉に人がなだれ込み、全員ホンキのダッシュ。

チンタラしてると、吹っ飛ばされます。当時は、流血事件や骨折といったケガも、実際に身近なホールで起きていました。

自分はと言うと、はぐれないように必死に友人の後をおいかけ、よく分からないまま並びで台を確保。

初打ちはジャパン2

ジャパン2

台の名前なんて1つも知らないので、なんでも良いと思っていました。

しかし、よりにもよって当時のスロット台の中では遊技難易度の高いCT機を確保しているとは…。

はじめてパチスロに触れる人間が横に座ると知っていながら何食わぬ顔でCT機を確保する友人。気遣いの「き」の字もありません。

CT機とは?

特定役後、いずれかのリールを無制御(=停止ボタンを押したリール位置で直ちに止まること。いわゆるビタ止まり)にすることにより、目押しで自由に小役を揃えられる状態(ただしリプレイとボーナスを除く)。原則Bタイプの機種に搭載でき、規定差枚数到達か規定プレイ数で終了するものがほとんどで、それらの機種では規定差枚数ギリギリで小役取得をコントロールして引き延ばすことで、規定プレイ数までメダルを減らさずボーナス抽選を受けることができた。

参考:wikipedia

要するに、目押しで小役を回避しながら、減って来たら小役を揃えて枚数を維持し、CTの規定回数を消化しなければならない。

ナビなんて親切な機能は無いので、残り100Gあろうが、規定枚数を越えた時点でパンク(終了)してしまう。

この始めて座るパチスロ機は、サミーから1998年にリリースされた「ジャパン2」。

予告音が鳴ると15枚役orボーナスというゲーム性は今でも覚えています。「ディスクアップ」のビタ押し成功時に鳴る「ジュワーン!」というあの音はすでにジャパン2に搭載されていたんですね。

サンドに金を突っ込み、ペシペシを打つ事50ゲーム。「ジュワーン!」という予告音が鳴り、友人Sに「赤い固まりを狙ってみろ」と言いわれ、タイミングを合わせて押すも何も揃わず。

「入ってるよそれ」

という事で、次ゲームに7図柄を狙うと見事にボーナスが揃う。

この時点でもうスロットの魅力に取り付かれていました。和風な音楽にコイン(お金)が増える喜びに酔いしれ、徹夜明けの眠気なんてどこへやら。

更にCTにも突入し、枚数維持の説明を受けるもイマイチ理解しないまま、言われた通りに打っていると更にCT中に音が消えてボーナス確定。

そこからも調子良く当たり、箱に手が届く。結局、その日は20,000円ほどの勝ちで終了しました。

当時、時給700円やそこらでバイトしていた高校生にとってはかなりの大金。味を締めてスロットにハマるのは自然の流れですね。

スロットについて猛勉強

古いパチスロ雑誌

そこからスロットについて雑誌や回りの情報を集め、平日にも学校が終わってから地元のホールへ1人でも行くように。

アツいイベントの日には、学校に行くフリをして家を出て、そのまま鞄に忍ばせた上着を来てホールへ。なんて事もしていました。

元から数学は得意で、物事を論理的に考える傾向があったので、スロットの仕組みを理解し、リーチ目などの情報を集め、勝てるようになるまで時間はそう掛かりませんでした。

ただ、学生の身分でそう毎日行く事は出来ませんし、高校3年になる頃には受験とうい1大イベントがあったので、徐々にスロットを打つ機会は減っていきます。

その後、中の中くらいの平凡な4大になんとか受かるも、キャンパスライフを満喫する事なく、パチスロと麻雀に明け暮れる日々を送る事に…。

その頃に知り合った友人にススメられパチンコ屋の店員をする事になるのですが、この友人がまた豪快な人間で、ゴト師の一味になったり、1,000万円をFXで溶かしたりと…、それはまた次回以降の話で。

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投稿されたコメント(0件)

  1. たかお より:

    懐かしいですね~、ジャパン!!
    あの頃のサミーはマックスボンバーやマンクラ、びんびん様とかありでしたね(笑)
    モーニングがあったので開店ダッシュはエルボー、タックル当たり前でワヤでしたよ(笑)
    おっかない地域だったのでなおさらですよね、
    今思うとあの頃はほとんど裏○ノだった気がします、そんなホールも今は殆んど閉店して大型ホー
    ルが増えましたが、
    ディスクアップの中押しも熱かったですね!
    ハサミ打ちアカナナテンパイも好きでした♪

    •  (0)
    • chonbo777 より:

      モーニングありましたね!
      入ったら全台「た〜まや〜」光ってたり…。
      開店待ちに絡む揉め事もあの頃は日常茶飯事でしたね…。
      個人的にはサミーと言えばディスクアップ。今でもドットを見るだけで興奮してくるのはあの台があったからだと思います。

      •  (0)
  2. UC より:

    自分も似たようなもんっすね。
    バイト仲間に教えられ、学生時代ですっかり中毒になり今に至るみたいな

    •  (0)
    • chonbo777 より:

      学生時代にハマった仲間はほとんどがもう辞めてしまいましたが、自分は仕事を始めてからも週3以上のペースです…^^;

      •  (0)

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